『田宮模型の仕事』タミヤが潰れなかった幸せ。模型好きなら必読

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こんにちは、おらプラです。

この本を買ったのは1997年の夏。

プラモを作った子供時代は終わって、社会人になっていました。

その頃はプラモデルは「過去の趣味」でしたが、本屋でこの本を見かけ、思わず買ってしまった記憶があります。

当時も面白かったのは、それからずっと本棚にあることから想像できますが、今、プラモデル作りを再開して改めて読み返すと、面白いんですよこれが。

現在も文庫版で手に入るみたいですので、読んだことがない人はぜひ。

「あの時タミヤが潰れてたら・・・」

今の日本のプラモデル業界はどうなっていたんだろう?

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『田宮模型の仕事』の時代

当時はハードカバーでした

「タミヤ模型」じゃない

この本は、TAMIYAでもタミヤでもなく、田宮模型だった時代から話が始まります。

小さな町の倉庫のような会社が、どのように模型に取り組み、成長していったのかが描かれています。

今では信じられませんが、もう潰れそうな感じで、起死回生のキットをいくつか発売して生き延びてきたみたいです。

模型が木からプラスティックに

模型というものは、素材がまだプラスティックではなくて、木でした。

田宮模型が木にこだわっている時に、外国でプラモデルが作られて驚くのです。

輸入して手に入れてみると、木の模型より精巧で、作りやすく、

「このままじゃ潰れる!」

と日本の模型業界は騒然となったそうですよ。

動かして遊ぶのが中心だった

また、当時の模型は、動かして遊ぶのが中心だったようです。

ある程度のリアルさは求められても、関心を集めるのは、

モーターでいかに走破力があるか?

水に浮かべて戦艦が動くかどうか?

だったそうです。

現在のタミヤにはラジコンとミニ四駆がありますが、中心は動かないスケールモデルじゃないですか。

それがまだ異端だったんですね。

帯がいいでしょ?

この帯はとってあります

写真を見てもらえばおわかりかと思いますが、表紙は白が中心のシンプルなもので、力強い題名が目に飛び込んでくるぐらいです。

私がこの本を買ったのは、本についていた「帯」に惹かれたのも大きかったかな。

「模型ファンの知らない模型屋の話」

という言葉と、

「男の花園」

というなんとも怪しげな言葉。今じゃ使わないでしょこんな言葉(笑)

当時はハードカバーの本なんて高いしかさばるし、買うことはなかったのですが、

「タミヤの本か・・・面白そうだな」

と、つい買ってしまったのでした。

内容少し紹介

帯の裏側

順序はバラバラですが、私が印象に残っている話を簡単に紹介します。

タミヤマークの誕生裏話

タミヤと言えば、「赤と青の★が2つのあのマーク」とすぐに思い浮かびます。

シンプルで目立って、良いマークだなと思っていましたが、その誕生の秘話も書かれています。

デザインした人は・・・読んでください。

当時の田宮模型の事情がよくわかるエピソードです。

戦車博物館での話

田宮模型が戦車を作り始めた頃、模型というのは古臭い写真をルーペで拡大して、見えないところは想像して作っていたそうです。

しかしそれでは納得がいかないので、アメリカの戦車博物館などへ出かけていき、とにかく写真を撮りまくって取材して、模型にしたエピソードが書かれています。

「この日本人は何やってるんだ?」

と周囲から失笑されながら、やっていたそうですよ。

ちなみに、「模型のため」なんて話しても、理解されない時代だったといいます。

「模型にそこまでする必要ないじゃないか?」と。

戦場に放置された戦車も

たしか現代のソ連戦車の話でしたが、冷戦中のソ連が見せてくれるはずがない。

そこで、ソ連の戦車を使っている第三国の戦場で、放置されたものを見に行くという話もありました。

しかも、

「そこにあるから見てもいい」

じゃなくて、

「もしかすると、こういう状況ならあるんじゃないか」

という想像で行くのですから、熱意がすごいです。

箱絵の話

タミヤの箱は絵(ボックスアート)がとても素敵です。

今でも、ボックスアートだけ眺めていてもいいものですが、当時は事情が違ったようです。

その模型が完成するとどんなものになるか?

作ってみたいと思わせることが出来るか?

大事なものだったようです。

今のように雑誌もネットもありませんから、そのプラモを買うかどうかは、箱絵で決まっていたんです。

当時のミリタリー画の有名な先生(小松崎氏)に、頼みに行くわけですが、何社も何社も順番待ちにしている中、弱小の田宮模型がなんと描いてもらえることになります。

そのエピソードもとってもいいんですよ。

最後には、

「あんたは戦艦のことをよく知っとる!」

と意気投合してしまうのですが、利益とかではなく、心意気を優先してしまう古き日本の「熱さ」が伝わってきます。

作るのが楽しくないとダメ

これはたぶん、現在タミヤのプラモデルを作っている人だれもが感じていることだと思います。

それがこの当時からずっと徹底されてきたことだったとは。

あるプラモを試作した時に、社長がダメ出しをしました。

「このキットは販売できない」

とても作り込みが細かくて、完成したものは非の打ち所がない感じだったのですが、

「これはタミヤが作りたいプラモデルではない」

と却下されたのです。

それは、

「作る過程が難しく、しかも楽しくないから」

だったというのです。

最終的に出来上がる姿が同じでも、なるべく作りやすくなくてはいけない。

そして、まるで実物の構造を学びつつ作れるような、そんな作り方じゃなくてはいけない。

というわけです。

戦車のここがサスペション、これが排気管、これが動くとこっちがこうなる・・・みたいなのを、ユーザーが楽しみながら作って欲しいというのです。

これ、今のタミヤのプラモデルにもありますよね?

完成させるのはユーザー、それが模型

社長さんのこの言葉が一番好きでした。

「模型会社は結局、途中までしか完成していない半端なものを作っている」

「残りを買った人が作ってくれて初めて、ちゃんとした形になるんだ」

だいたいこんな意味でした。

組み立てなくていい完成品を買えばいいのに、わざわざ面倒な組み立てや塗装をやらないといけないプラモデルを買うのはどうしてなのか?

「面倒だけど、それが楽しい」

これって、いろいろな趣味に共通するものだと思います。

マラソン、旅行、山登り、そしてプラモデル。

面倒だけど、それをこなしていくのが楽しい。

うまく行かなくても、自分だけの完成品になるのが楽しい。

そうですよね? モデラーの皆さん。

模型好きに流れる熱い思いを感じれる本

私が本屋で見かけるプラモデルの本は、ほとんどが技術のことを書いた本です。

入門者向け、上級者向けの違いはありますが、ようは指南書です。

この本は、模型屋と模型好きに共通して流れる「模型愛」で満ち溢れています。

別に筆者が「模型愛」について語っているわけではなく、ただ田宮模型という歴史をありのままに書いたら、そこには模型愛があったということなのですが。

ニヤニヤしたり、爆笑したり、プラモを作る手を止めて、数時間この本を読む価値張はありますよ。

例えばタミヤが嫌いでも、それでも面白い本です。